操体法の基礎(考え方)
(1)快・不快について たとえば指に針が刺さったり、熱いものに触れたりしたときは反射的に手を引っ込めます。もちろん「痛い」「熱い」という感覚からの自然な逃避行動、危険を避ける行動です。 この不快な感覚にはどんな意味があるのでしょう。「痛い」「熱い」などの不快な感覚はできれば無いほうがいいのですが、 この不快な感覚がからだに用意されていることには重大な意味があります。 仮に「痛い」「熱い」といった感覚がもし無かったら…と想像してください。指先には針が刺さりっぱなしで出血を続け、手は火傷を負ってもおかまいなし…。これは生命に大変な危険をもたらします。極端な話、自身が破滅するまで放置してしまう事態です。 それでは困ります。やはりできるかぎり迅速に危険を察知して回避したいし、回避しきれなかったとしても刺さった針は抜いて、傷口の手当てや、自然治癒するまでのいたわりが必要です。胃が悪ければ、「胃痛」や「吐き気」によって食欲を落とし、胃を休ませなければいけません。不快な感覚が無ければ、胃に穴があくまで食べつづけてしまうでしょう。 同様に首をこちらに回すと痛い、といったような不快感も 「歪んでいるので、それ以上こちらに動かすと壊れますよ」 という警告でもあります。 そして不快から逃げようとする、という行動は、裏をかえせば、快適な方向を探そうとする行為です。ここにとても大切な生命の躍動があります。 (2)病的傾斜 宇宙(自然)の快法則に違反し続けると、心もからだも脆くなります。 さらに外からのストレス(外傷・事故・病原菌感染・過労・精神的ストレスなど)が加わることが、病的傾斜が始まるきっかけになることもあります。 はじめは「痛み」「しびれ」「凝り」のような感覚異常から現れます。 この時点で気がづいて、アンバランスな生活を反省し、快方向に歩みはじめれば、症状の悪化を防ぎ、比較的容易に健康な状態を取り戻せます。 この初期段階を無視したり、気がつかないでいると、「痛み」「しびれ」「凝り」という感覚異常の段階から、さらに機能異常の段階へ進んでいきます。 たとえば、便秘や下痢を繰り返したり、肩が上がらなくなったり、視力が落ちたり、肌の色が悪くなったりといったものです。 この段階でもまだ、自分は健康だと頑張る人がいます。しかし、残念ながら近代医学の検査では、感覚異常や機能異常はキャッチされないことが多いようです。 さらに症状が進むと、器質破壊に至ってしまいます。たとえば、胃潰瘍、肝炎、ポリープなどですが、この時点までこないと近代医学の診断を受けられない、ということが多いのです。 この段階にまで至ってもなお気づかずに「俺は健康だ」などと言っていると、とても間に合わなくなってしまいます。 できることなら、第1段階の感覚異常に至らないような心もからだも快い生活が営めるのが理想ですが、少々の違反は誰もがついやってしまいます。 ですからせめて、初期の感覚異常の段階で病的傾斜に気づき、素直に自分の違反生活を反省して、ちょっぴり快法則に基づいた生活に気をつければ、大事に至らずに済みます。 |
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